Day 7 盛岡→気仙沼

今日は予報は雨だったのになぜか青空が。そう言えば富山から鶴岡までのドライブはメチャ降りだったけど、それ以降は殆ど雨に降られていない僥倖は日頃の行いのせいか。

サングラスかけて盛岡から東に向かい遠野を目指します。市街地からやや外れたところに、江戸後期から昭和初期にかけての山里の暮らしを再現した「遠野ふるさと村」という観光地があります。「遠野物語」に代表される古潭・奇譚を絡ませながら、一箇所で遠野をみな体験しちゃえそうだったのでやや横着ながらここに来ました。いや、よく出来てる。ジオラマのなかにはカカシが立つ田んぼや、河童が出そうな薄暗い池、あと5棟ほどあった茅葺きの大きな家。飛騨五箇山のそれらとは違って、当時貴重な働き手だった「南部馬」を飼っておく馬舎と人の住む住居をL字型に接続した形で、「曲がり家」と呼ばれるそうです。一周して40分ほど、入館料500円は妥当です。でも観光客は私ともう3組くらい。
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このまま気仙沼に向かおうと考えてましたが、腹が減った。よしでは近くの海辺の街で魚を食うばいと走らせたところが「釜石」でした。日本製鐵が街のど真ん中にあるのはさすがに鉄の街の面目躍如ですが、何だか街全体に活気がない。やや寂しさを感じながら釜石駅すぐそばの海鮮屋でちらし寿司を頂きましたが、この内容と味で1600円は大満足です。さすが海の幸の宝庫、東北の底力です。
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釜石から三陸道を南下して陸前高田に向かいます。この三陸道、震災時には完成しておらず、震災後は急ピッチで仕上げて今は三陸をつなぐ大動脈になっています。驚いたのはこの大動脈は八戸仙台間が無料!乗り放題!です。これは震災復興支援の一環ではないかと思われますが、もう今更有料にはできない雰囲気を、地元の方々の会話から感じ取りました。

震災から13年経って初めて被災地に足を踏み入れました。津波の爪痕が深く残る陸前高田には「奇跡の一本松」「気仙沼中学校」などの遺構とともに「いわてTSUNAMIメモリアル」という大震災津波伝承館があります。ぐるっと一周敷地内を歩いてみましたが、ここで大惨事が起こったのかと思うとちょっと感情的になります。伝承館では、3階建ての屋上まで津波が到達した気仙沼中学の当時の校長が当時の被災・避難状況を淡々と語っていたビデオが強く印象に残りました。また災害直後から「Operation Comb」という聞き慣れない作戦が取られていたを初めて知りました。これは被害の少なかった東北自動車道を櫛の背として、そこから沿岸の各街まで櫛の歯のように道を切り開いていくロジスティック確保の大作戦です。驚いたことにこの櫛の歯にあたる救助用道路はほとんどが災害後1週間で開通したそうです。それは凄い!と思うと反面、「能登」はどうなってんねん!といういう思いもこみ上げます。
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陸前高田から気仙沼までは30分。ネットで調べておいしそうな魚のろばた焼きの店に行きます。またしても大正解。待つこと30分、今まで食べた中で最も美味しいホッケを頂きました。ごちそうさま。
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