入院(Day 5) ⇒ 退院

昨夜は何回トイレに行っただろう。Every 1 hourにむっくり起きて近くのトイレに用足しに行った。毎度極僅かな量なんだけど、これを出すための尿意がものすごい。突然下腹部にズンっと来て「ああ漏れちゃう」という感覚なのですぐに用足しに行かざるを得ない。お陰でかなりの寝不足感を持ちながら8:00に朝食。今度は先日の高野豆腐に続き「がんもどき」の煮付けでご飯(大)を食えと。これは厳しかった。もっとも便通がない分、食欲もなく、今回もご飯は半分残した。

そう、頻尿もさることながら、実は便秘が最大の問題となってしまった。人生で便秘という状況は稀有にして経験した覚えがないので、これは下腹部に重くズンってのしかかる感じでなんとも気分が悪い。食欲もない。排尿時の痛みはこの膨張しているはずの大腸が悪さをしているのではないかとさえ思う。前回も痛みはあったが、便通があったせいか今回ほどではなかったように記憶している。ともあれ膀胱腫瘍の切除手術自体は無事完了、尿の色も通常に戻ってきたので、看護師さんから便秘薬をもらって無事退院は9:40。

階下で提出すべき保険書類を確認してそのまま信濃町へ。ま、眩しい。さ、寒い。

昨日は東京にも初雪が降ったと報じられていたが、5日前に比べて一段と寒くなった気がする。それにしても薄い長袖一枚で通せた病院って温度湿度の管理はしっかりしてるんだなと改めて感じいった。

あと他の病院でもそうだと思うんだけど、看護師さんってほとんど天使だね。人との接し方、気の使い方、優しさの振り撒き方、全ては患者さんのためにって感じ。同室の入院患者が日頃優しくされないおじさんばかりだったせいか、もうみんなそれだけで元気をもらっていたように見受けられた。私もその一人。会話の機会がほとんどないなかで、僅かな時間でも相手して頂いて本当に感謝。

 

ということで4泊5日の入院生活を徒然のまま書き留めておいた。病が病だけに再発がないとは言えない。その時のためにもこうして経験をレビューできるものがあるといいかなと思い書き連ねた。前回1年半前の簡単日記によると退院した次の日から6-7kmのウォーキングを何日も続けていたようだ。今回はちょっと寒いのでそこまではできないかもしれないが、明日から体力回復に向けて行動開始。

 

 

入院(Day 4)

昨晩は久々に夕方に飲んだコーヒーが効いたか、なかなか寝付けず夜中の3時頃まで起きてた気がする。それでも朝8時には朝食で起こされて高野豆腐の煮物をおかずに重い白米を食べるという苦行を行い、9:20に看護師さんが「えいっ」とあの忌まわしき排尿管を抜き去って、晴れてFree from any tubesの身となった。これで制限付きながら自由の身だ〜。

昼前に3日ぶりにシャワーを浴びて「生還感」を味わう。

ところが上げ気分は長く続かない。

シャワー直後の排尿から下腹部に鈍痛が走り、まぁよくある感覚だからそのうち治まるだろうと思ってたらこれがず〜っと続くことになった。いや痛いのなんのって、膀胱が張って来る感覚で20分感覚で激烈な尿意が襲ってくる。もう当初の血尿っぽいピンクから通常の色になってたんだけど、少量(おそらく一度で20ccくらい、因みに通常の量は250~300cc)で頻度がハンパない、しかも排尿時と直後は思わず顔が歪むほどの深い鈍痛が。ズ〜ン。術後から続く便通なしの状態も含めて過去の手術に経験したことのないことなのでちょっと不安が残る。病棟内の長い廊下(端から端まで78歩)を何度も往復して気を紛らわすと同時に便意を促す作戦に出たが今のところ奏功してない。

食欲も激減して昼食と夕食は半分残す。明日午前の退院を告げられてホッとするものの、この痛みが何とか治まらないことにはちょっと動けない。

入院(Day 3)

よく寝た感覚でスッキリ目覚めたのが、看護師さんが点滴交換にいらした6:40。相変わらず時折強い尿意は感じるものの、体の不調不具合は感じない。これは過去2回の手術経験に比べてかなり回復のスピードが速く感じる。慣れなのかもしれないが。

午前中にモニターに繋がっていたセンサー各種が、昼食後には点滴が外されて、繋がるのあの忌まわしき排尿管のみとなった。時折来る強い尿意にやるせない痛痒感を感じるのが今現在の不都合なのだが、膀胱内部腫瘍切除というそれなりの手術から1日経ってないことを考えればまぁ良い術後経過なんだろうと思う。

忌まわしき管の先にぶら下がった袋に溜まる出血が混ざったピンク色の尿を見ると、医学の進歩に感謝すると同時に、どうすればこうならないかを真剣に考える機会になる。最初の膀胱ガン手術の際、主治医からは再発確率50%と言われていたのでひょっとしたらの思いはあったものの、その運の悪い方に転がってしまってから「じゃどうすりゃいいのよ」との思いは強い。毎月50kmのウォーキング、酒は極端に機会を減らして家飲みはほぼゼロ。ラーメンやご飯の大盛りは止めてそれなりの節制をしてたつもりなんだけど。これも天運かな。

 

入院(Day 2)

手術の日。朝食後は体温血圧測定が複数回、まだ自由の身なので廊下往復ウォーキングに出てみるも忙しく立ち回る医療スタッフの邪魔らしく、結局ラウンジ、ベッドでネットサーフィン。いよいよ感は点滴の取り付けから。何かに繋がれるというのはどんなことでも気分は良くない。手術は15:00開始予定と聞かされていたが、きっかり20分前にお迎えが来て、歩いて術室へ。あられもない姿でベッドに仰向けに寝かせられて口にマスク、「これから眠くなります…よ......」と最後まで聞こえずに失神。

 

気が付いたのはベッドに乗せられて部屋に向かう途中だった。おそらく阿呆な患者が麻酔から明けて発する最初の言葉、「もう終わったんですか」と口にしながら。本当に麻酔って怖いな。

部屋に戻ってからは気が付かないうちにたくさん繋がれてたチューブやコードの取りまとめ、ちゃちゃちゃと作業は終了したのが16:30だったので手術自体は1時間くらいだったのだろう。前回もそうだったのだが気がつくと同時にものすごい尿意が襲う。排尿管がものすごく鬱陶しい。あと背中べったりの寝姿だったので何だかやたら苦しい。尿意はともかく、3時間も経ったら寝返りが打てるようになって随分救われた。寝返りできない病気障害が多くあると聞いたけど、これは本当にしんどいわ。そうならないように日頃の精進大事、と肝に命じた日だった。それからは3時間毎に検温血圧で起こされる間はトロトロと寝入っていたように思う。

入院(Day 1)

入院って安静とされる時間が長くて、ハッキリ言って暇。

なので久々にブログでも書いてみようかと、思い立ったのがヤマを越した3日目なので、まぁ自分のための備忘録だな。

コトの始まりは2024年11月6日、昨年のGWに膀胱ガンで腫瘍切除手術を受けたあと定期診断で膀胱内部をカメラで入れたら再発の可能性高しとの診断が下り、松本主治医からは「じゃ12月17日に手術しますね」とコトの重大さに見合わない軽さで告げられて今に至っている。

手術が決まってからはゴルフ6回、レインボーライド(自転車でレインボーブリッジと東京ゲートブリッジを走破する)、飲み会5回、富山帰省などまぁまぁ忙しく過ごし、入院したのが16日(月)。

慶応病院へは2年前に前立腺がんで、1年半前には膀胱ガンで入院手術してるので、これで3回目。もうベテランとは言わないまでも中堅どこにはなってきたのかななりたくないけど。

以前より荷物も身軽で、難なく受付もクリアして1号館の9B病棟、921室へ。3日程前に病院から受けた「無料利用の4人部屋が一杯で有料部屋に変わってくれないか」とのリクエストを固辞した結果、前回、前々回お世話になった泌尿器科(10階)ではなく消化循環器の9階になったようだ。

全く風景と雰囲気が同じなので気が付かなかったのだが、過去の入院でお世話になったサイトーさんという方がフロア名札になかったので聞いたらそういう事だそうだ。ちょっと残念。

 

11:00に入室してからは採血、血圧、体重身長測定などでバタバタしたけどそれも午後15:00くらいから暇になって同フロアのラウンジで本を読んだりネット見たり。慶応病院のいいところはネットが問題なくどこでも速く繋がるところ。入院者必携のアプリ、NHK+をストレスフリーで見られるのは助かる。尤も最近は「おむすび」が前作に比べて異様につまらないのでNHKのニュースとNスペ以外殆どテレビ見てないので個人的にはこれで十分。

 

ただし同病院の弱点は入院食かな。これはおそらくどの病院も同じなんだろうけど、おかずが薄味で野菜中心なのは譲る(見逃す)として、個人的に閉口するのは米の重さ。水分が多目で、炊き方もあるんだろうけどちょっと、箸で上手く拾えないくらいねっとり、団子みたいで美味しくない。実は過去の入院時も気が付いていたのだが、今回は疑念から確信に変わった。だからなんだ。

 

食事後にシャワー。今回病院から特定のシャワーソープを渡され、どうやら殺菌作用強めな感じで泡立ちすこぶる悪くて私としては不評だった。今回バスタオル忘れたのは失点だったが、まぁハンドタオルで乗り切る。あとは21:00に消灯、ダラダラネット見たりして就寝。

旅を終えて

みちのくひとり旅」などと題打ってブログまで始めておいてたったの9日間の旅だったかと思うと、すみません、ちょっとあっけなかったですかね。予定より2日早い帰宅となりました。実は仙台まではほぼ予定通りだったのですが、この後「山形・蔵王で一泊、猪苗代湖磐梯山を見て廻って郡山で一泊」をスキップしちゃいました。ちょっと景色慣れしてどこを走っても同じように感じられたこと、梅雨前線が突然活発になって2、3日は雨が続く予報となったこと(実際山形はひどいことになったようです)、あとやはり長時間の連続ドライブで疲労が蓄積してきたこと等が早めの帰宅となった要因です。今となってはどこかで連泊してドライブ休日を作ればよかったかなと少し反省してます。

実質富山から始まった旅でしたが、①羽黒山神社、②白神山地、③竜飛岬、④中尊寺、らのメジャーな目的地はさすがにどれも素晴らしかった。どこもWorth to visitです。あとちゃんと会話ができた数少ない人たちとの出会いも印象的です。弘前の民泊マスター夫婦、青森の超レトロ喫茶店のマスター(会話になってなかったけど)、気仙沼の店でホッケを焼きながらむちゃ話しかけてきた料理人など。それでもひとり旅って、自分の都合や考えで気ままに動けるのは最高に楽しいのですが、お店に行ってもおいしい肴やお酒を共有できなかったり、楽しい経験や新しい発見などもその場で語れなかったりと、ちょっと「もったいないな」と思うことはしばしばありました。

最後に、陸前高田浪江町で東日本震災津波災害の現実と爪痕を知ったことは大きなショックでした。知っていたはずなんだけど、その現場でいろんなものを見せられると新たな感情が湧き出ます。天災は防げないことを前提に、起きた時のダメージを如何に最小限に食い止めるか、どう備えるか、というのは日本人にとっては永遠の課題であることを実感した旅でもありました。

【旅のスタッツ(東京→富山→東北→東京、10泊11日】

◉総走行距離 2,598km

◉総ガソリン量 128 L

◉燃費 20.3km

◉総経費(お土産抜き)約15万円

◉一番美味かったもの ホタテ・イワシの塩焼き@八戸、ホッケ炉端焼き@気仙沼

 

 

 

 

Day 9 仙台→東京(自宅)

仙台の朝、いよいよ雨が本降りとなって路面を濡らしてます。東北地方の天気予報は全域で雨、特に内陸部はどの時間帯も傘マークが揺れてます。仙台市内の観光スポットを訪れたあと山形市に将棋駒の里を訪ねて、ついでに芋煮でも食べてから帰路につこうかと考えてましたが、景色も含めてとても観光の気分になりません。ただ太平洋側沿岸部はかろうじて曇りマークが並んでいたので、よし、仙台市内と山形はスキップして南東に向けて進もうと決めました。まずは弘前の民泊マスターに勧められた「南相馬鹿島SAの牛タン定食」を目指します。2食連続の牛タンでもいいんです。下道をゆっくり走って90分で到着したときはかなりのザーザー降りになってました。レストランの入口で牛タン定食1,400円の食券を買って待つこと15分。厨房内で実際に肉を焼いたり中華鍋を大きく振ってる頼もしいおばちゃんたちの姿が期待を盛り上げてくれます。んで一口食べてみると、「う、うまい!」牛タン6切れは昨晩の有名店と同じ構成ですが、ここのほうがジューシーでご飯が進む感じです。ちなみに牛タン定食はこのレストランでは最高価格で、ちょっと誇らしい気持ちになります。ここを教えてくれた弘前のマスターには感謝しかありません。
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Google Mapを見ていると沿岸には多くの「震災遺構」が残されてます。その一つ、「浪江町立請戸小学校」に寄って行くことにしました。SAから車で30分、遠目から津波でWiped outされてフラットになった海岸線沿いにぽつんと立つ建物がそれでした。中に入るとメチャメチャに破壊された教室の一つ一つを順に見ながら、地震発生から生徒先生全員が助かったストーリーボードを読んでいくことになります。妙な演出がないだけに津波の悲惨さや緊迫の脱出劇はストレートに心に響きます。通りかかったトラックの運転手が避難途中の生徒100人を乗せて公民館に走ったという段になると不覚にもこみ上げるものがありました。悲惨な体験を記録として残した先人たちの思いと、それを伝承していく不断の努力なしには全員救助という僥倖はなかったと確信しました。今回の旅で東日本大震災の現実と傷跡を間近にみて、能登の一刻も早い復興を強く願うようになりました。
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浪江町を最後に一路東京の自宅に帰ってきました。車のドアを開けた途端に熱風が吹き込んできて、そのまま東北にUターンしようかと思いましたよ全くもう。「みちのくひとり旅」の総括はまた別の機会にするとして、旅程全体として天気に恵まれ、これという事故もなく、極めて順調な旅でした。じっと運転席に座ってる時間がとても長かったせいで、身体のそこここが「凝った」状態です。明日はマッサージにでも行こうかなと。